精神の煮こごり。

毎日一回以上更新。次の目標は三ヶ月継続!

めんどくさい

めんどくさい。めんどい。

 

めん-どう【面倒】

手間がかかったり、解決が容易でなかったりして、わずらわしいこと。また、そのさま。

大辞泉

 

僕はかなりのめんどくさがりである。家族もそうだから、遺伝なのかもしれない。もしめんどくさがりという性質が遺伝するなら、だが。人生におけるさまざまな問題のうち8割くらいは、この気持ちと関係しているように思う。行動するのがめんどくさい。考えるのがめんどくさい。人に会うのがめんどくさい。いろんなことがめんどくさい。言い換えれば、モチベーションというやつである。健康な心身という素材があり、余力というか元気というか、その手のエネルギーがあるとき、人は何らかの目的を目指す意思のもとに能動的に行為する。

【百一日目】約三か月ブログを書いた感想と今後の見通し

このブログを立ち上げた当初の目標は「一か月連続更新」。

つぎに立てた目標は「三か月連続更新」。

本当の節目は31+31+31の93記事目なのかもしれないけれど、なんとなくきりがよいので100記事目まで書いてみた。ただ、100記事を超えたタイミングで小さな変化がいくつか生まれ、今後を考えるのにいい機会だと思ったためここでいったん振り返りをしたい。

 

まず、上で書いた小さな変化とは何か。

1.ブログのPV数が1000人を超えた

人と比べると大したことはないのだろうが、1000という数は自分のなかで一つのヤマを越えたように思う。

2.読者の人がついた

ありがとうございます。読者の方がついてくれるだけでこんなにうれしいとは。

3.はてなブックマークがついた

いまいちはてなブックマークがどういうものなのかわかっていないけれど、どこかの方が初めて記事に対してコメントを残してくれたということなので、純粋に嬉しい。

 

次に、内的な変化について。

4.書く習慣がついた

修論の前後で追いつめられていたときに更新の空白期間ができてしまったことは反省している。しかし、クオリティは別として三か月間書き続けていると、特別に意識せずとも書く習慣がついた。これが一番大きい。

これは当初立てた目標「毎日更新すること」の達成でもある。また、三十一日目の記事に書いた「ネット上に文章を書くことに慣れること」という目標も、三か月の継続によって達成できたと思う。

 

5.自然な文体が定まってきた

結局、常体で淡々と書くのが一番性に合っているらしい。真面目すぎて面白味は薄いのだろうが、自然体でなければ続かないこともあるはずなのでこれはこれで良しとする。

 

反省点もある。

更新が面倒なときおざなりにしがちだったこと。ただしこのハードルの低さが更新を苦にさせなかった点でもある。また、下書きをほとんど有効活用できなかったこと。つまり記事のアイデアや構成を先にメモしておいて、手元で推敲してから公開、という流れが最も理想的なのだがそれができなかった。最後に、ブログのカスタムをする気力がなかったこと。ウェブに文章を書くことに慣れたらHTMLやCSSもぼちぼち勉強していこうとおもっていたが、そこまでは至らなかった。

 

さて、今後の見通しである。

まず、百日更新で習慣はできたから、記事タイトルの【○日目】は外す。これはわざと目立つように書くことで習慣化されるまでのモチベーション維持のねらいがあったからだ。ただし本当に習慣化されたかはもうちょっと長く続けてみないとわからないから、次は一年更新を目指す。

次に、更新頻度について。質の高い記事を毎日量産することは難しいので、質を高めるなら更新頻度を減らす必要がある。しかし、せっかく毎日書けるようになったのにこれをいったん切ると、まためんどくさがって更新しなくなるのは目に見えている。そこで、平日は毎日更新、休日は日曜だけ更新という暫定的なやり方をとることにする。休日は二日使って多少マシな記事を書こうという魂胆だ。ただし4月から仕事が始まると今のようなペースで書き続けられるか不安なので、とりあえず二月~三月でためしにまわしてみる。

 

前に書いたように、雑記ブログとして本の感想を中心にいろんな話題で書いていくのが一番無理なく更新できると僕は考えている。もし今後、専門的な記事だけをまとめたくなったら別のブログに株分けをするかもしれないが、当分はいまのブログ一本で続けることにする。管理を簡単にするためだ。

 

また、反省点にもあげたようにブログのデザインをちょこちょこいじっていきたいが、マルチタスクが苦手なので記事を書きながら作業するのは時間的に難しい。そこで、デザインをいじり始めたら数日~一週間は更新をとめてHTMLとCSSをごにょごにょするのに専念する。

 

以上、感想と見通し。

【百日目】僕がゼルダの伝説から学んだもの

もうすぐ引っ越しをするので、部屋の片づけをしていた。小学生のころから同じ部屋を使っているので、あちこちから昔のガラクタが出てくる。長らく使っていなかった勉強机の引き出しをあけると、なかからパチンコがでてきた。

 

パチンコと聞いて何を思い浮かべるだろうか? 

ほとんどの人は、銀色の玉をはじいて景品をゲットする機械、脳内アドレナリンドバドバのジャンジャンバリバリを思い浮かべるのではないだろうか。しかし、僕にとってパチンコとは、昔からずっとあの玩具のことをさしてきた。つまり、Y字の枝にゴムが括り付けてあって、小石なんかを射出するアレである。

 

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それは、小学5年生の時に仲の良かった友達が転校したとき、餞別として僕が渡したプレゼントに対して、お返しに滝沢君がプレゼントしてくれたものだった。小学生の時の僕はパチンコがほしくてほしくてたまらなかったから、きっとそのことをどこかで聞いて買ってくれたんだろう。なぜ僕はパチンコがほしかったのか?

 

ゼルダの伝説 時のオカリナ」のせいである。

 

はじめて触れたテレビゲームは任天堂64(ロクヨン)だった。僕のおじさんが小学校低学年のときにくれたものだ。おさがりだったが、いろんなソフトも一緒にくれた。よく遊んだのは「がんばれゴエモン~ネオ桃山幕府の踊り~」だったが、一番僕を怖がらせ、同時に魅了したのは「時のオカリナ」だった。

小学校低学年のころ、とにかくビビりだった僕は、時オカが怖くて怖くて全然プレイできなかった。デクの樹サマにたどりつくまでの道にいるモンスターが怖くてずっとコキリの森から出られなかったくらいだ。つまりチュートリアルしかできなかった。僕のセーブデータのリンクは、ひたすらジャンプしたり剣を振り回したりZ注目したりツボを割ったりするばかりで永遠に冒険に出られなかった。精緻なグラフィックに慣れてしまった今だからこそ、ポリゴンも荒いしこれはリアルじゃないなと冷静に判断できるのだが、とにかくスタルフォスやゴーマのデザインが気持ち悪かったし、モンスターに襲われるときのおどろおどろしいBGMやリンクがダメージを受けるたびに発するうめき声が耳にこびりつくようで恐ろしかったのである。

では、時オカが嫌いだったのかというとそうではない。おじさんはソフトと一緒に攻略本を二冊くれたのだが、僕はとにかくこれを読むのが大好きだった。むしろゲームをプレイせずに攻略本しか読んでいなかった。この気持ちがわかる人、いると思う。二冊のうち片方は普通の本で、ダンジョンのマップやアイテムの場所やボスの攻略方法が載っているだけだったが、もう一冊がすごかった。普通の攻略情報に加え、「時オカ」の世界観を説明するため、デクの樹サマにナビィが呼び出されるところからガノンドロフトライフォースを暴走させて最終決戦に至るまでのリンクの物語が簡単な小説仕立てで書いてあったのだ。しかも、ダンジョンやフィールドの設定も「冒険の初心者」向けにまるでゼルダの世界に没入するがごとく詳細に書かれていた。なぜゾーラの里ではジャブジャブ様が祭られているのか、ダイゴロンがサリアの歌で泣き止む理由、迷いの森に迷い込んだ子供は最後にどうなってしまうのか……。モンスター図鑑・アイテム図鑑には、そのモンスターの習性やアイテムの由来などが事細かに記されていた。デクの実を食べると一寸頭がぼーっとした後バチンという衝撃がやってくる、とか。そういう、ゲームの攻略とは関係のない情報が僕を夢中にさせた。

小学生の僕は、ハイラル城の見張りをかわしてゼルダに会いに行くリンクを思い描き、廃墟になった城下町を徘徊するリーデットを想像して身震いし、エポナに乗ってハイラル平原を走り抜けるさわやかさにあこがれ、「想像の中で」あの世界を存分に冒険していた。その中には、パチンコを装備した子ども時代のリンクが敵を倒す想像も含まれていた。そう、それがパチンコという玩具を自分もほしいという気持ちにつながっていたのだ。

 

(ちなみにこの本は何度も何度も読んだせいで最後にはページがバラバラになってしまい、セロテープで張り付けてなんとか本の形を保っていたのだが、いつの間にか手元からなくなっていた。おおかた母が可燃ごみの日にでも捨ててしまったのだろう。しかしそのディティールは10年以上たった今でもしっかり覚えている。その証拠に、上の文章を書いたとき、何も参照せずとも時オカの固有名詞がスラスラと出てきたのだ。)

 

話が長くなってしまった。端的にまとめるとこういうことだ。

幼少期の僕にとって、ファンタジー世界とは「時オカ」のことだった

弟と粘土遊びをするとき、レゴで自分の世界を作るとき、キャンプに行って川や森で遊ぶとき、想像力が必要なときは常に時オカの世界から想像を膨らませた。自分がつくったキャラクターが探検するのは「迷いの森」だったし、公園で棒や松ぼっくりや樹の皮を拾っては剣や盾の素材にすることを考えた。とかく空想しがちだった少年期の僕のイマジネーションには、時オカ、いや正確にいうとその攻略本のエッセンスがしみこんでいた。

 

小学4年生のとき、学校の課題で初めて書いた小説は、『エルマーのぼうけん』に「時オカ」の風味を加えたような、そんな物語だった。

 

というわけで、久しぶりに僕は昔のころを思い出したのだ。あのときの童心、想像力。物語を作って楽しんでいた日々。パチンコをくれた滝沢君はいまは何をしているのだろう?

【九十九日】求ム、汎用電子ペーパー端末

最近、電子書籍を買うことが多い。僕の場合、特に新書やマンガをよく買う。そして手持ちのFire HD8かiPhone SEで読む。

今までは電子書籍といえばKindleだよね、という感じで何も考えずにぽちぽちしてきた。しかし、このたび本当にそれでいいのかと考えなおす機会があり、Kindle以外の電子書籍、hontoというサービスで購入するようになった。

その理由は次の通り。

 

・リスク分散

天下のAmazonがすぐに潰れるとは考えにくいが、万が一AmazonKindleがサービス終了してしまうと書籍が読めなくなる。電子書籍はあくまで「本を読む権利」を買っているだけなのだ。

外資系企業だから今は好調でも事業に将来性がなくなったらすぐにサービス撤退しそうだし、ジェフ・べゾス自身も「いつかアマゾンは潰れる」なんてインタビューで発言してたし。

www.businessinsider.jp

 

KindleのUIが使いにくいから

FireのKindleアプリを使っていると思うのがUIが本当に使いにくいということ。購入済みの本を自分の好みの順に並べるといった整理もできないし、オーナーライブラリの無料本を見つけるのなんかやり方を知ってないと無理!という具合に隠されている。あと、ページをめくっていると急に読んでいた段落が次のページに飛んだり、逆にもどったりと妙な挙動をすることがしばしばあって、集中できない。

 

・日本の出版界にお金を落としたいから

いささかカッコつけた理由だけど、就活で出版業界を志望していたとき、日本の電子書籍をめぐる出版界の現状を知りちょっと不憫になった。電子書籍市場の最大手が外資系のAmazonだから、書籍のKindle化も出版社や書店に負担をかけるようなかなり強引なやり方で行われがちだときくし、電子書籍という媒体自体、2010年ごろに鳴り物入りで登場したにも関わらず一部のビジネス書とマンガくらいしか売れていないのが現状である。そんななか、日本の出版界には少しでも良いサービスを作ってもらいたいので丸善ジュンク堂が提携しているhontoを利用することにした。

なおKindleアプリと比べてhontoアプリは使いやすいように感じる。特にクーポンの配布がアプリ内の通知でわかり、取得しやすいのがいい。Kindleもよくセールをしているが、肝心のセール情報がどこに掲載されているのかわかりにくいからなおさらhontoが便利に感じる。

 

というわけでhontoを使い始めたのだが、一つ気になることが。最近、読書デバイスとしてのKindle(ああややこしい。ペーパーホワイトとかオアシスとかあるやつね)を購入しようかな~と悩んでいたくらい、とかく電子書籍は目が疲れるのだ。できれば電子ペーパーの専用端末で読みたい。しかし、hontoには専用端末がないのだ!

楽天koboという端末を出しているらしいけど、スパムメールの山というイメージのある楽天のサービスはあまり使いたくない。SonyはReaderという端末を昔出していたそうだが、2013年以降新たな機種はないそう。そこでほしいのは、

Androidを搭載した

・7インチ以上の

・安価な(できれば一万円前後)

電子ペーパー端末だ。一応、中国メーカーのBooxとかいう端末が上二つの条件を満たすみたいだが、かなりいいお値段である。

 

 

 

できれば一枚でkindeもhontoもkoboもreaderも読めるような、そんな汎用電子ペーパー端末をどこかがつくってくれないかなあ……。