精神の煮こごり。

毎日一回以上更新。次の目標は三ヶ月継続!

【四十三日目】読書感想 藤谷治『小説は君のためにある』

こんにちは。もりひびきです。

今回紹介する本は藤谷治『小説は君のためにあるーーよくわかる文学案内』です。

 

 

新書なので、あらすじというか概要を紹介するためにカバー裏を引用。

 

小説は、役に立つ。

君の人生を共に考える友達になる。

ほんとうに? なぜそんなことになるのか。

小説だけがもつその特性を解き明かしながらあたたかく懐深く誘う読書のすすめ。

同書カバーより

 

藤谷治は小説家らしいが、この人の作品を読んだことはない。ではなぜこの本を知ったかというと、とある大学の文学部の教授が高校生向けのイベントでこの本をおすすめしていたのを聞いて興味をもったという次第。

 

最初に断っておくと、この本は上にもかかれているように「読書のすすめ」であって、いわゆる文学理論の本とか書評集ではない。しかも、かなりライトな文体、書き方なので、どちらかというと普段小説を読まない若者向けに書かれた本のように思う。紹介されている本も、芥川龍之介、中上健二、アガサ=クリスティ、カミュドストエフスキーヘミングウェイと有名な作家ばかりだ。

だが、この人がいかに小説を愛しているか、その熱意が読み手にすごく伝わってくる本でもある。きっと藤谷氏は作家である以前に、一人の読書家として本を愛してやまないのだと思う。だから、ここにあげられているような作家や本はもうとっくに読んだよ……という人も読んでみていい本かもしれない。

 

読者を特定できない文章はみな文学

ブログの記事もツイッターフェイスブックの投稿も、 あるいはインターネットを離れて書かれたどこかの落書きもみな文学。とてもわかりやすい。とはいえ、この人がいう「文学」の定義にはもう一つの側面があると思う。それは、物語性があるということだ。ストーリーテリングさえしっかりしていれば、つまり読み手の頭の中で場面が呼び覚まされる語り方があればそれは文学だと僕は思う。そういう意味で、例えば新聞記事の中でもある種のものは文学と呼んでよいのかグレーなところだ。例えば株式の変動の速報なんかは文学とは言いづらい。あとは駅の注意書きのような標識、これも文学と言っていいかは難しい。でも、この辺の議論はテリー・イーグルトンあたりの文学理論でさんざん語られているのでいまさら特に詳しく論じようとも思わない。

むしろ、藤谷氏のいう定義はアウトサイダー・アートとしての文学ってことを言い当ててている気がする。まさに、コラムに書かれてたカフカのエピソードはそんな感じだ。

 

小説は世のため人のためになるとは限らない

小説は気配りをしない。それはその通り。だが、読者がいないと小説はなりたたない。だから、上の言葉をより厳密に言い直すと、「読み手がいる限り小説はその人のためになる」ということでもあると思う。作者がどんなに勝手気ままに書いたとしても、あるいは小説が読み手や社会への配慮が一切なく書かれたとしても、読み手がそれを読んだ瞬間、それは何らかの意味を持つものになる。本当に無意味な小説はありえない。たとえ、ランダムに単語を並べただけの文章や単に記号を配列しただけの文を小説家が書いたとしても、読み手はそこに「意味が分からない」「無意味」という評価をするはず。

要するに、小説とはすごくプライベートな関係を私とあなた(作者)の間に築くためにあるのだと思う。

 

中上健二の『19歳の地図』

面白そう。読んでみたい。

 

カミュ『異邦人』への共感

大学に入って読んだ本のなかで、いちばん感銘を受けた、というか心に残った本の一つがカミュの『異邦人』。だから藤谷氏がカミュを取り上げて小説への共感ということを書いていたところは読んでいて「まさにその通り!」と思った。

ムルソーははっきり言って今の言葉でいうならサイコパスなんだけど、母への愛情も世間一般とは全く違う形ながら持っているし、キリスト教への帰依のような社会のマジョリティが強制する思想に反発する信念ももっている。そういう意味でムルソーはすごく人間くさい。何より、ムルソーのような「他人への無関心」傾向が自分にあるとわかっているからこそ、『異邦人』が強烈に印象に残ったんだと思う。そうそう、自分にとって良い本というのは自分だけの秘密を共有してくれる本であり、「これは自分のことを書いているんじゃないか」と思わせる本である。もっともそんな本、作者にはめったに出会えないのだけど、だからこそ出会った時の衝撃はすさまじい。

 

小説の陶酔と本に疲れたら本を読むこと

そういう「陶酔できる小説」に自分はまだであったことがない。これは自分が無感動人間であるというパーソナリティにも由来するのかもしれない。とはいえ、作品世界に浸るだけで十分という読書体験はよくあるので、その延長線上にあるのかもしれない。

本に疲れたら本を読む。藤谷氏は室生犀星の文を挙げていたが、そういう本は確かにあって、ぼーっとただそれだけを目で追いたいという気持ちはわかる。僕の場合、小説を読むのに疲れたら、無心にエロ漫画を読みたくなることがある。それもなるべくベタで、特徴のない平凡なエロ漫画だ。性欲を掻き立てるのとは全く真逆の方向でポルノが心に平和をもたらしてくれることもある。あとは、エロ漫画ほどじゃないけど宮沢賢治の文章にも多少そういう効能がある。

 

以上。手軽に読めて小説を読みたくなる一冊でした。