精神の煮こごり。

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【四十九日目】社会的地位について考える

社会的地位が欲しい。あからさまにそういうと、ぎょっとする。少なくとも僕はそうだ。どちらかというと理想主義者だから、地位や肩書なんて唾棄すべきものとさえ思っていた。実力があれば/能力があれば/すばらしいものを生み出していれば/身近な人間から認められていれば/よい。あるいは、そんな条件なんてつけなくても、ただ人として存在するということそれ自体が価値を持つのだ。むしろ、自分の権威にものを言わせて他者を脅かしたり、人から称賛されるような地位や肩書や名声を追い求めたり、野心で他人を蹴落としたりするのはよくないことだと思っていた。

 

しかし、ふと振り返ってみると、僕たちの多くが「社会的地位が欲しい」と思っている。

 

有名大学を出ているとか、誰もが知っている大企業で働いているとか、人から一目置かれるような職業(医師、弁護士、政治家などなど)についているとか、有名な賞を受賞しているとか、そういうことだ。あるいは、ツイッターでたくさんの人からフォローされたいといった「自己顕示欲」も、社会的な地位を欲している一例といえるかもしれない。なぜ人は社会的地位を欲するのか、ということには、アイデンティティの問題が強く関連している。

 

何者であるか、というアイデンティティは、自分が決める面と他者が決める面の二つがある。何者かでありたい、何者かになりたいと思う人が苦しむのは、他者が自分をそういう風に見なしてくれないからだ。例えば、漫画家になりたいとおもって漫画をたくさん描き、漫画家を自称していたとしても、他人がそれを認めていなければその人は漫画家だとはみなされない。では、その人が「漫画家である」ことを示すもっともわかりやすい指標はなんだろうか?面白い漫画を描いてること。賞を取っていること。商業誌に連載していること。プロとして活動していること。そのような、目に見えてわかるものがあってはじめて、他人は自分を漫画家と認めてくれる。

そこで考えてみると、自分が何者であるかをもっともわかりやすく表すものが、社会的地位であり、肩書である。プロフィールであり、実績である。自分が本当に親しくしている何人かは別として、世の中のほとんどの人間は自分に興味はない。だから、もっとも手っ取り早くその人を表すものとして社会的地位を見る。表面上の、それくらいのことしかわからないからだ。結局、自分が何者であるかということは、どういう大学を出ているかとか、どういう会社に勤めているとか、何で生計を立てているとか、そういった身もふたもないことが決めてしまう。

 

ということを考えたとき、人から良く思われたい、認められたい、関心をもってもらいたい、称賛されたいというのは当然の感情だから、多くの人が社会的地位を求めようとするのではないだろうか。自分の価値を端的に表す指標して、他人に見せる名刺として。社会的地位に関心がないひとは、他人からどう見られているかに関係なく、自分はこういう人間だ、とはっきり認識しており、自分に価値を認めている人だということになる。言い換えると、自己肯定感をもっている人ということになる。

 

じゃあ、社会的地位が手に入らない場合、最良の解決策とは自己肯定感を持つということなのだろうか。それができりゃ苦はないよ、ということで、自分で自分に自信を持つということは本当に難しい。なぜかというと、人間は他人との関係性の中に生きているからだ。他人が自分をどう見ているのか意識せざるをえないし、他人と自分を比べてしまう。他人からの視点や優越感・劣等感がある限り、どう思われようと自分は自分なんだ! こういう人間なんだ! と声高に宣言することは難しい。自分の価値を認めるためには、せめて関係性の外部に立つ必要があるが、人間は関係性の内部で生きているから外部は想像することしかできない。

そういう抽象的な論を抜きにしても、自分で自分に自信を持つことは幼少期の環境によるところが大きいから、なおさら自己肯定感の低い人が肯定感を高めることは難しい。アイデンティティを確立する過程は裏を返せばそれまで自我がないということだから、周囲の環境は白紙の自分にどんどん経験を与え、後から変えようのない核を形成することになる。悪いことに、幼少期の環境は自分の意志では選択できないから、自己肯定感を持つことができるかどうかはぶっちゃけ運によるともいえる。

(脱線するのであまり書かないが、自分の意志で決められることって実はあんまりない。自分の人生を左右するもののほとんどは、意志や力ではどうしようもない運や偶然性である。僕は別に悲観主義者というわけではないのだがそう思っている)

他人との関係性にあらわれる自分を捨て去り、自分の価値を自分だけで固く認めるためには、だれからも干渉されない環境に身をおくしかない。ひきこもるとか、無人島に行くとか。

 

僕の中には、社会的地位を追い求めるなんて意味ないよ、そんなの砂上の楼閣だよという自分と、決してそんなきれいごとでは割り切れない、自分が何者であるかを示すための何かが必要なんだという自分の二人がいる。今日も折り合いはつきそうにない。