精神の煮こごり。

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【五十三日目】カポーティの小説を訳してみる

定期的に買う雑誌がある。柴田元幸という有名な翻訳家が編集長を務めている『Monkey』という文芸誌だ。僕は柴田元幸の大ファンなので、この人の書いたものが読めるだけでも価値があると思って買っている。それで、この前vol.12を買って読んでいると柴田元幸村上春樹が翻訳について対談するというページを見つけた。海外小説の一節をお題に、二人がそれぞれ訳したものを比べながら翻訳について語るという企画らしい。ふむふむ、と思って読んでいると、な、なんと! 僕の大好きなトルーマン・カポーティの「無頭の鷹 The Headless Hawk」をお題にしているではないか!

 

カポーティ、知っていますか? 

村上春樹ファンなら読んだことがあるという人も多いと思う。一番有名な作品は『ティファニーで朝食を』だろうが、個人的に一番好きなのは短編集『夜の木』に収められている「無頭の鷹」という作品だ。なんとなく不吉な字面から連想されるように、決して明るい話ではない。ニューヨークを舞台とした、とても暗く、奇妙で、音楽的な美しさのある短編だ。一言では語れないくらい魅力のある作品なのだけれど、その作品の肝たる繊細な雰囲気を英語の原文からいかに写し取ってくるか、ということでお題になっていた。(余談だけど、映画『秒速五センチメートル』で高校時代のヒロインが読んでいたのがカポーティの『草の竪琴』だ)

 

で、記事を読んでいるうちに自分もこの一節を訳してみたくなったので挑戦してみた。

 

Vincent switched off the light in the gallery. Outside, after locking the door, he smoothed the brim of an elegant Panama, and started towards Third Avenue, his umbrella-cane tap-tap-tapping along the pavement. a promise of rain had darkened the day since dawn, and a sky of bloated clouds blurred the five o'clock sun; it was hot, thought, humid as tropical mist, and voices, sounding along the grey July street, sounding muffled and strange, carried a fretful undertone. Vincent felt as though he moves below the sea. Buses, cruising, crosstown through Fifty-seventh Street, seemed like green-bellied fish, and faces loomed and rocked like wave-riding masks.

Truman Capote(1967)"A Tree of Night and Other Stories", penguin books, p.90

 

拙訳は以下。

 

「ヴィンセントは画廊の明かりを消した。ドアに鍵をかけた後、彼は上品なパナマ帽のつばをなでつけ、外に出て三番通りへ歩き始めた。傘が舗装された道をステッキのようにコツコツと叩いている。陽が落ちてから雨の兆しがどんよりと続き、膨れ上がった雲の浮かぶ空が5時の太陽を滲ませていた。にもかかわらず、気温は暑く、熱帯の霧のように湿っぽく、灰色の七月の通りに響く人々の声はくぐもって奇妙に聞こえ、気難しげな口調を届けていた。ヴィンセントはまるで海の底を動いているように感じていた。ゆっくりと走っているバスが57番通りを横断しているさまは、緑の腹の魚のように見えたし、乗客の顔は波に浮かぶ仮面のようにぼんやりと現れては揺れていた。」

 

ちなみに僕は英語の小説を訳したことはほとんどない。大学で読む文献は基本的にお堅い論文ばかりだった。oxford bookwarmsという語学学習者向けの多読の読み物は一時期読んでいたが、本格的な小説ではなかったので上の訳にも変なところがあるかもしれない。ご了承ください。

 

そもそも上の引用は小説の冒頭なのだけれど、もうこの時点でなにやら物憂い雰囲気が漂っている。a primise of rain had darkenedとかa sky of bloated cloudsとか。

そして下線部を訳すのが一番難しかった。蒸し暑い陰鬱な通りを歩く主人公、という情景が思い浮かぶものの、

 

voices, sounding along the grey July street, sounding muffled and strange, carried a fretful undertone.

 

ここをどう訳すとその感じが上手く出るのかわからない。voiceというのは通りを歩く人の声のことだろうから、きっと蒸し暑さとどんよりとした天気に気分のささくれだった通行人の声のトーンのことなのだろう。しかし、声がfrerful undertoneを運んでくるとはどういうことなのか……。

村上春樹はここを

 

灰色に染まった七月の街路にざわめく声は奇妙にこもった響きを持ち、苛々したアンダートーンを含んでいた。

 

と訳し、柴田元幸

 

灰色の七月の街を歩く人びとの声は籠った奇妙な音に聞こえ、苛立った響きを底に忍ばせていた。

 

と訳している。undertoneはそのままアンダートーンと訳すといいのかもしれないが、当然日常的に使う語ではない(よね?)のでいまいちニュアンスがわかりにくい気もする。柴田訳のほうの「底に忍ばせている」というのはわかりやすい。まさにドンピシャな感じがする。under-currentが「底-流」のイメージのように、通低音として人々の苛立った声がBGMのように流れている……という情景が自然に頭に浮かぶ。

 

小説を読んでいるときに頭に浮かぶイメージというのは不思議なもので、記号としての文字・文章から立ち上がってくる表象はかなり映像的なのだが、その要素は個人の経験に由来している。つまり、自分がかつて見た風景や感じたことのある情感を素材に、作品世界が立ち上がってくる。これはいわゆるクオリアのようなもので、他人の頭の中に浮かぶ情景と自分の頭に浮かぶ情景が一致しているかを確かめるすべはないし、そもそも作家が意図していた情景と一致しているという保証もない。にもかかわらず、読者の間ではある種の「共通感覚」が働いており、ディテールの違いこそあれ作品の持つ雰囲気・空気が普遍的に一致するのは不思議だ。だからこそ、マンガや小説の実写化が行われたときに、「イメージと違う!」と訴える人があんなにも出てくるのだと思う。言語化可能な部分と不可能な部分の間で揺れる不確実性が、フィクションの本質なのかもしれない。

 

『夜の木』を読んだのはかなり前だけど、これを機に久々に読み返してみたくなった。「無頭の鷹」、読んだことがない人にはぜひおすすめします。主人公ヴィンセントととある謎めいた少女の恋愛の物語なのだけれど、いわゆる恋愛もののカテゴリーでくくるには難しい。全編を通して伝わってくるはかなげで不吉な雰囲気、ガラス細工のような空気がありつつも、センチメンタルな部分が全然ない。感傷的でない。むしろ、ひりひりするような焦燥感や、開けてはいけない箱の蓋を開いてしまったような絶望感がある。似た雰囲気の作品に、古井由吉の『杳子』があるけれど、カポーティのほうがニューヨークという異国の都会情緒もあってか、より孤独さを際立たせている……。という僕の主観的なイメージさえ、こうやって言葉にすると実に陳腐な形でした書き留められないけれど、とにかく気になる人はぜひ読んでみてください。他の短編も絶品だから。

 

夜の樹 (新潮文庫)

夜の樹 (新潮文庫)