精神の煮こごり。

毎日一回以上更新。次の目標は三ヶ月継続!

【六十一日目】読書感想 小暮真久『20代からはじめる社会貢献』

先日、ある映画を見た。『パッドマン 5億人の女性を救った男』という映画だ。

 あるインド人男性が女性用の生理用品の開発と普及に奮闘する物語である。21世紀の現代でも、インドの多くの女性は生理の際にナプキンを使うことができない。外国製ゆえに非常に高価であるからだ。また、特に田舎では女性の生理をタブー視する文化がいまだ根強く、臭いものにふたをするように誰もがその話題を避けようとする。妻をきっかけにそんな現状を知った一人の男が、清潔で安価な生理用品を国内で普及させるために奮闘する。彼の目標は、女性が不衛生な環境に置かれて病気になるリスクを減らし、生理の時も活動できるような自由を作り出すこと。笑いあり、どんでんがえしあり、でも最後はハッピーエンドのとてもさわやかな映画なのだが、現代のインドの女性を取り巻く社会や新旧の文化の対立などの社会問題を鮮やかに描いた作品でもあった。

(ちなみにこの記事の後半部分で映画のネタバレがあるのでご注意!)

 

なぜこの話をしたのか。小暮真久の本『20代からはじめる社会貢献』を読んだとき、社会問題の解決というテーマで両者に重なるものがあったからだ。

 

20代からはじめる社会貢献: 400社が支援した「社会起業」とは (PHP新書)

20代からはじめる社会貢献: 400社が支援した「社会起業」とは (PHP新書)

 

 

社会起業という言葉がある。貧困・環境破壊・教育格差などのさまざまな社会問題に対して非営利団体を立ち上げ運営することで課題を解決する。NGONPOを思い浮かべてもらえればわかりやすい。特にアメリカではこれらの団体の活動が非常に盛んで、大学を卒業した若者やビジネスマンが社会起業を行うことが当たり前になっているそうだ。人気の就職先ランキングに誰もが名前を知る有名企業と並んでそのような非営利団体がランクインするそうだから、かなりの力の入れっぷりであるし、社会でもそれだけ広く活動が受け入れられているということだろう。

日本も負けていない。社会起業の認知度は年々少しずつ高まり、多くの学生や若手社会人たちがビジネス以外の形で社会貢献をしたいと考え、行動している。しかし、それを受け入れる社会の土壌がまだ未成熟であることも確かだ。実際のところ、NGONPOがどんなことをしているかという具体的な中身に理解ある人はまだまだ少ない。

この本は、TFTTable For Two)というNPOを創設し運営している小暮氏がまさに当事者の視点からわかりやすく社会起業や社会貢献の概要を説いた本だ。ちなみにTFTはうちの大学の生協も加盟していて、学食の特定のメニューを食べると料金のうち数十円が途上国の学校の給食費にあてられるという仕組みになっている。ヘルシー料理で先進国の人はメタボを解消し、食事が満足に食べられない国の子どもは給食を安定して食べることができるようになる、という一石二鳥がこの活動のキモなのだ。

 

読んでいて、なるほど、と思わされた部分は多々あるが、特にドキッとしたのは41頁のつぎの言葉だ。

 

うまくいっていない社会的事業は、たいていここのところを勘違いしています。いいことをしていれば、正しい主張をしていれば、人がついてきてきてくれるわけではないのです。

また、わかってくれる人だけが応援してくれればいいという姿勢では、単なる自己満足で終わってしまいます。

必ず結果を出さなければならないのは、社会的事業も一般の企業も変わりありません。

 

冒頭で『パッドマン』の話をしたが、主人公の男・ラクシュミが生理用品の開発で何度となく失敗と挫折を味わったのもまさにこの点にある。

不衛生な布しか生理のときに使えないという現状はおかしい。間違っている。だから、清潔で安価なナプキンを女性は必要としている。この認識は正しいし、問題を解決したいという熱意も立派なものだ。ただ、ラクシュミは生理の話をすることがインドの女性にとってどんなに恥ずかしいことで、タブーであるかということに気づいていなかった。だから、どんなに試作品を作っても、それを周りに勧めても、ちっとも受け入れられないばかりか村八分にあう羽目になってしまったのである。いくら本人が「善なる動機」で「よいこと」をしていたとしても、みんなが好意をもって受け入れてくれるとは限らない。方法が間違っていれば空回りしてうまくいかないのだ。

このあたり、小暮氏は元やり手のビジネスマンだったこともあって非常に鋭い。営利目的でないのだから、社会のために身を粉にしていればオーケーで、ときには結果が伴わなくても仕方ないさ、というような甘い認識をばっさり切り捨てている。営利と非営利、舞台は違えど何らかの活動で成果を出すことは同じ。組織を運営する点でも同じ。だったら、ビジネスで必要な感覚や経営スキルを存分に発揮し、冷静に堅実に問題に取り組まなければ本当の意味での社会貢献はできないのだ。

 

映画のネタバレになってしまうのだが、『パッドマン』の最後、ラクシュミはナプキン製造用の安価な機械を開発し、協力者の助けもあってそれをインド中に普及させる。技術を特許化しビジネスとして大儲けすることもできたが、ラクシュミと彼のパートナーは社会事業化することを選ぶ。つまり、仕事がなく経済的に自立できない女性がナプキンの製造と販売という仕事に就き、得られた収入をきっかけに生活を立て直したり、口コミで仕事の評判を広げることで生理への偏見と不衛生に苦しむ地域でさらに事業が普及することを狙ったのだ。

まさにこのやり方は、持続可能な是正システムという点でTFTの活動と重なって見える。背景は全く違うが、このような事業の取り組みで少しでも社会が良い方向に変わっていくなら、そこには非常に大きな意義がある。

 

いっぽうで、どんなに技術やシステムや制度が整えられたとしても、文化・風俗に根差した人々の価値観や考え方は容易には変わらない。結局、ラクシュミの村の人々たちが女性の生理問題をタブー視し続けていたように、一朝一夕には問題は解決しないのだ。

必要なのは、何が問題なのかをきちんと整理してクレバーに対応し続けること。そうやって根気よく地道に現状を変えていった先に、人々の価値観の変化がある。

この点に関しても小暮氏はきちんと指摘をしている。社会貢献、社会事業をするからといって聖人君子になる必要はないし、無理に「悲壮感」「必死さ」をアピールする必要もない。「社会貢献」という言葉には自己犠牲や献身のイメージが付きまといだが、そのような姿勢を過度に要求する社会の風潮というのは僕も間違っていると思う。悪いことをしたのだから反省の意を示さなければならない。頭を垂れて謝罪しなさい。こういうふうに、とかくこの社会では常に行動に合致した態度をアピールすることを求められるが、〈どんな態度を示すか〉と〈どんな行動をしてどんな結果を残したか〉は全くの別問題である。むしろ、そういうわかりやすい姿勢や見せかけを求めながら、他方では自己責任論を振りかざすなどダブルスタンダードとしか思えない。態度と行為は切り分けて考えること。教師は常に生徒のことを想って粉骨砕身せよ、といった訓示がもたらしたのが、中高教諭の過重労働であり、過労死なのだから。

 

とまあ、いろいろと読んでみて話があちこちに飛んだのだが、結果としてはとても良い本を読めたと思っている。新書の中でもかなり薄い方なのだが、書き手がコンサル出身ということもあってか理路整然としていて読みやすい。社会貢献、社会起業に関心を持った人の最初の一冊としておすすめだ。