精神の煮こごり。

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【六十二日目】大阪の街に雪が降る

朝起きると、外で雪が降っていた。どおりで寒いわけだ。

僕の住んでいる地域では雪があまり降らない。年に片手で数えるくらいだ。だから、雪が降るとちょっと特別な日が来たような、心の奥がざわつくような気持ちになる。

 

思い返してみると、雪で遊んだという記憶がほとんどない。せいぜい降っても数センチ程度で、かき集めて雪玉をつくるのが精いっぱい。雪だるまやカマクラなんかもってのほかで、幼いころはテレビで東北や北海道の雪景色を見るたびにうらやましく思っていたものだ。大人になってからは、旅行で何度か北の方に行くことがあった。金沢の雪景色なんかは本当にきれいで、堆積した雪が氷のように分厚い層を作っているのを見てはなんだか嬉しくなっていたけど、だからといって幼いころのように雪合戦をしたいとかふかふかの雪に倒れ込みたいとか、そういう気分になることはほとんどなかった。

雪はあまり降らないが、寒いと氷はできる。この前、とても寒い日、大学の近くの小さな池の表面がうっすらと凍っていた。いや、実は凍っていなかったのかもしれない。水面に微生物がバイオフィルムを作り出して、あたかも凍ったように見えていただけなのかもしれないけれど、遠目で見るとたしかに凍っているようにも見えた。

 

凍った水面というと、昔のことを思い出す。

 

僕が小学生のころのこと。小学校の近くには川が流れていて、夏はよくそこで魚を捕まえて遊んだりしていた。ある冬の日、桁違いに寒かった夜の翌朝、川のそばを通りがかると水たまりが凍りついていた。川べりには水たまりが点在していたのだが、そのどれもがうっすらと白く濁って固形化していた。きれいな川ではない。だから、氷も半分泥水のような感じでまあまあ汚かったのだが、長靴をはいた足を勢いよく振り下ろすとカシャンという軽い音を立てて氷が割れるのが楽しくて、水たまりの薄氷を踏み割って遊んでいた。たしかどんより曇った日だったと思う。結構広い河川敷なのだが、通りがかる人もほとんどおらず、一人で遊んでいた。

ひとしきり氷を踏み割るのに飽きると、こんどは水たまりに石を投げ込み始めた。子どもが持って投げれる大きさだからたいして重い石ではない。しかし、石が水たまりに落ちると、衝撃音とともに広い範囲に氷と泥水が飛び散った。かじかんだ指で石をつかんで砂地から引き抜くと、最初は抵抗があるのだが、つぎの瞬間にはずぼっと抜ける感触とともに手の中に石が収まっている。それを思い切り投げつける。

 

そうやって一人遊びをしていると、奇妙なものを見つけた。数メートル先の水たまりの真ん中に、冬なのに大きなカエルが凍りついていたのだ。驚いた。カエルは冬は冬眠する生き物のはずだ。なぜこんなところにいるのだろう? 身体の半分が泥交じりの氷で覆われ、背中と顔の一部だけが露出していた。例えば、冬眠していた砂地が雨で洗い流されて、寒さで身動きが取れないまま一晩かけて凍りついてしまったのだろうか? わからないが、幼心にこのカエルを助けたいと思った。手の中には野球のボールサイズの石。ぶつからないように投げて、うまく氷を割ったらカエルも逃げ出せるのではないだろうか。慎重に狙いをつけ、石を投げる。放物線を描きながらカエルの真横に石は吸い込まれていった。

明らかに今までと違う音がした。今までは、水たまりに石が落ちると鈍い音とバシャリと氷が飛び散る音がしていた。しかし、カエルの隣に落ちた石はボコッという低い音、金属同士がこすれあうような嫌な音を立てた。氷も飛び散らない。何が起きたのか気になって、僕は水たまりのそばに近づいた。

それは水たまりというより穴だった。穴の底には、何かよくわからない錆びだらけの機械の残骸が転がっていた。泥まみれだが、割れた氷の間から鋭い針金や尖った鉄片が飛び出していた。カエルは石の衝撃で砂に埋もれてしまったのか、どこにも見当たらない。

 

それを見たとき、一瞬で血の気が引いた。さっきまで僕は水たまりの氷を踏み割って遊んでいた。もし、この水たまりにも勢いよく足を振り下ろしていたら……。ガラクタから飛び出た金属の歯が僕の足をずたずたに引き裂いていたかもしれない。真冬なのに、胸の上を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。急に怖くなって、僕は逃げるように川べりを立ち去ったのだった。

 

という、むかしの冬の思い出。