精神の煮こごり。

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【八十三日目】僕と阪急電車

思い返せば、僕の人生は阪急電車とともにあった。

生まれも育ちも関西。物心ついたとき、家のすぐ裏の線路を走っていたのは阪急電車だったので、僕の中で「電車=小豆色」という固定観念がいつの間にか形成されてしまっていた。今でこそなかなかオシャレというか雰囲気ある車体だな~と感じるけれど、幼稚園のころはずんぐりした甲虫みたいでダサい色だなと思っていた。JRに初めて乗ったとき、銀色の角ばったフォルムに衝撃を受けたものだ。あとボタンで開閉するドアにも。

 

幼稚園のころからお出かけに電車を使うことが多かったが、本格的に阪急と付き合いだしたのは小学六年生のときからだ。中学受験のために三駅離れた学習塾に通っていた。友達と一緒に行くことも多かったから、まあ電車の中でもうるさいクソガキだったと思う。あのころは駅中のガシャポンが楽しみだった。みんなはSDガンダムが好きだったけど、僕はリアル調のやつが好きだった。確か、最初に引いたのはリックドムⅡで、次にあてたのはケンプファーだった。

中学受験に失敗し、地元の公立に進学した。その時も塾に行くために中一から中三まで阪急を使っていた。さすがに慣れたもので、小学生のころのようにうっかり乗り過ごして途方にくれたり広い駅の中をフラフラさまようこともなかった。塾の帰りに、待合室でコンビニのメロンパンとカフェオレを持ち込んで友達と話すのが好きだった。

高校生になると、地元から少し離れた高校へ通学するためにこれまた阪急を利用した。小→中→高と定期券の区間がだんだん広くなり、同時に新しい駅、新しい土地を知った。高校の時の思い出でよく印象に残っているのも通学のときだ。朝の八時ごろ、神戸線に乗って朝日が住宅街を照らしているさまを見るのがなぜかとても好きだった。毎日見ていても見飽きなかった。僕の中で、朝日と西宮北口~三宮間の車窓の風景は切っても切り離せない思い出になっている。今でも神戸に用事があるときは車窓から外をついつい眺めてしまう。

大学生になると、今度は神戸線を梅田方面に利用し始めた。こっちは見ていて面白い風景もあまりない。第一、神戸方面より通勤ラッシュの人込みがすごすぎて、ぎゅうぎゅうの車内に詰め込まれるのが嫌で仕方ない。朝弱いこともあって、結局大学の一限はまともに出たためしがなかった。とはいえ、十三で飲み屋をぶらつくこともあったし、買い物や散歩の拠点は神戸から梅田へ完全に移った。東京と比べるとしょぼいのかもしれないけど、梅田もよく栄えている街でそろわないものもほとんどないし、飲食店も映画館も服屋も本屋も何でもあるから、自然と梅田であらゆる用事を済ますようになった。ちなみに梅田の駅ホームは特殊な形態をしているらしく(だだっ広いホームに様々な線が川の字のように並んでいる)取り鉄の人たちもよく見かけた。

というわけで、僕と阪急の付き合いは、

小学生1年+中学3年+高校3年+大学(院)6年の計13年になる。わが人生の半分以上は阪急電車とともにあった。

 

とりたて郷愁を感じることもないのだけど、これだけ長い間乗っていると阪急の車両や駅にいつの間にか愛着がわいている気がする。今は特に意識することなく自然に利用しているけれど、果たしてこの土地を離れて別の電車に乗り始めたとき、僕は阪急を懐かしく思い返すのだろうか。