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【九十五日目】読書感想 ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』

女の生と性。

 

今回読んだ本はミランダ・ジュライ岸本佐知子訳)『いちばんここに似合う人。短編集だ。しかし、"No one belongs here more than you"という原題は、いかにも英語的ニュアンスに満ちたタイトルでかっこいい。

 

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

カバー裏よりあらすじを引用。

 

水が一滴もない土地で、老人たちに洗面器一つで水泳を教えようとする娘(「水泳チーム」)。英国のウィリアム王子をめぐる妄想で頭がはちきれそうな中年女(「マジェスティ」)。会ったこともない友人の妹に、本気で恋焦がれる老人(「妹」)ーー。孤独な魂たちが束の間放つ生の火花を、切なく鮮やかに写し取る、16の物語。

 

女性の性について、僕はほとんど何も知らない。男性だからというのもあるし、そもそも一般的に男女間のセクシャリティに対するとらえ方、意識がやや異なる気がするからだ。たとえばポルノ一つとっても、男性は直接的に欲望を刺激するような対象を求め、快楽を得ることが最大の目的になっているようにみえるのに対し、女性向けのコンテンツはそうではないと感じる。だからこそ性と深く結びついた十六の短編をとても興味深く読むことができた。

統一的なテーマのようなものはないが、それぞれよく似た手ざわりの作品ばかりである。ざらざらしていて、決して触り心地がよいわけではないけれど、意識してしまう、そんな感触がある。ついイジってしまうささくれのようだ。

どの作品もとても短く、最も短いものは数頁、長いものでも30頁とむしろ掌編に近いが、だからこそ断片的にすくい取られた情景の生々しさが鮮明に浮かび上がる。あとがきを読んでミランダ・ジュライが映像作家だということを知ったが、それに深く納得。

 

先に引用したあらすじで紹介されている作品(「水泳チーム」「マジェスティ」「妹」)はどれも奇抜なアイデアに支えられた内容のように一見みえるが、本作のキモは設定の奇抜さでなく登場人物の孤独感であると思う。孤独感、というのは孤独とは違う。どの作品でも主人公は常に他人との繋がりをもっている。つまりガチの孤独ではない。しかし、他人との関係が上手くいっていなかったり、妄想癖があったり、思考が風変りであったりするゆえにどこか周りとのズレや違和感が生じてしまう。そのような関係の中で生まれる孤独感にうまくフォーカスしている。すべての話が一人称から独り言のように語られるのも、きっとそのことと無縁ではない。タイプは全く違うけれど、連想したのは村田沙也加コンビニ人間だ。

 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

さて、総括的な感想はこれくらいにして、特に気に入った作品について述べたい。

 

●「水泳チーム」

あらすじで紹介されていた作品。「わたし」は親が嫌で一人暮らしをするために遠くの町(というより村?)へひっこしてきたわけだけど、仲良くなって水泳を教えるようになった相手というのが全員老人というところがいい。エリザベスとケルダとジャックジャックの三人だ。おそらく主人公は20歳くらいの若い女の子だろうが、歳が違いすぎてほとんど別世界の人のような老人たちと友人になったことで、ベタベタした感傷のない関係が生まれたのだと思う。というか、若い主人公もちゃっかり洗面器の水に塩を入れたりしてちょっと老人くさいのがいい。(「お湯にはちょっと塩を入れた。鼻から温かい塩水を吸うのは健康にいいって聞いたことがあったし、きっと三人はうっかり鼻から吸い込むに違いないと思ったからだ」27頁)。おばあちゃんの知恵袋的というか、青竹踏み健康法的というか。四人にとってこの「水泳」はどんなに大きな意味をもっていたのだろう? 

 

●「モン・プレジール」

中年の夫婦である「わたし」と夫。セックス自体はもう長いことしていないけれど、それでもお互いに親密な性の営みがあり、生活があった。日常そのものになった生活は平穏のうちに過ぎていくのだけれど、微細な埃のように少しずつ溜まっていったものが少しずつ関係を損なわせる。努力どうこうではもとに戻せないようなズレが世の中にはあるのだということを想像させてくれる。カールと「わたし」のする「おっぱい飲み」は、エロティックというよりどこか物悲しく、ユーモラスに感じる。性と損なわれた感情をここまで密に結びつけて感じることが果たして男性の性にあるのだろうか?

「わたし」の提案する夫婦の次の段階と、映画のエキストラ役を演じることは直接のつながりがないように見える。しかし、映画の中で親密な夫婦を声抜きに演じることが、二人の関係を最終的に損なってしまうところはとても象徴的だと思う。

 

あと、身も蓋もないことを言ってしまうと、タイトルの「モン・プレジール」という言葉自体がちょっとラブホテル的。日本の中年カップルがここで描かれるような夫婦の関係を実感するのは、むしろ住み慣れた家よりラブホにいったときじゃないかな?