精神の煮こごり。

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【百日目】僕がゼルダの伝説から学んだもの

もうすぐ引っ越しをするので、部屋の片づけをしていた。小学生のころから同じ部屋を使っているので、あちこちから昔のガラクタが出てくる。長らく使っていなかった勉強机の引き出しをあけると、なかからパチンコがでてきた。

 

パチンコと聞いて何を思い浮かべるだろうか? 

ほとんどの人は、銀色の玉をはじいて景品をゲットする機械、脳内アドレナリンドバドバのジャンジャンバリバリを思い浮かべるのではないだろうか。しかし、僕にとってパチンコとは、昔からずっとあの玩具のことをさしてきた。つまり、Y字の枝にゴムが括り付けてあって、小石なんかを射出するアレである。

 

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それは、小学5年生の時に仲の良かった友達が転校したとき、餞別として僕が渡したプレゼントに対して、お返しに滝沢君がプレゼントしてくれたものだった。小学生の時の僕はパチンコがほしくてほしくてたまらなかったから、きっとそのことをどこかで聞いて買ってくれたんだろう。なぜ僕はパチンコがほしかったのか?

 

ゼルダの伝説 時のオカリナ」のせいである。

 

はじめて触れたテレビゲームは任天堂64(ロクヨン)だった。僕のおじさんが小学校低学年のときにくれたものだ。おさがりだったが、いろんなソフトも一緒にくれた。よく遊んだのは「がんばれゴエモン~ネオ桃山幕府の踊り~」だったが、一番僕を怖がらせ、同時に魅了したのは「時のオカリナ」だった。

小学校低学年のころ、とにかくビビりだった僕は、時オカが怖くて怖くて全然プレイできなかった。デクの樹サマにたどりつくまでの道にいるモンスターが怖くてずっとコキリの森から出られなかったくらいだ。つまりチュートリアルしかできなかった。僕のセーブデータのリンクは、ひたすらジャンプしたり剣を振り回したりZ注目したりツボを割ったりするばかりで永遠に冒険に出られなかった。精緻なグラフィックに慣れてしまった今だからこそ、ポリゴンも荒いしこれはリアルじゃないなと冷静に判断できるのだが、とにかくスタルフォスやゴーマのデザインが気持ち悪かったし、モンスターに襲われるときのおどろおどろしいBGMやリンクがダメージを受けるたびに発するうめき声が耳にこびりつくようで恐ろしかったのである。

では、時オカが嫌いだったのかというとそうではない。おじさんはソフトと一緒に攻略本を二冊くれたのだが、僕はとにかくこれを読むのが大好きだった。むしろゲームをプレイせずに攻略本しか読んでいなかった。この気持ちがわかる人、いると思う。二冊のうち片方は普通の本で、ダンジョンのマップやアイテムの場所やボスの攻略方法が載っているだけだったが、もう一冊がすごかった。普通の攻略情報に加え、「時オカ」の世界観を説明するため、デクの樹サマにナビィが呼び出されるところからガノンドロフトライフォースを暴走させて最終決戦に至るまでのリンクの物語が簡単な小説仕立てで書いてあったのだ。しかも、ダンジョンやフィールドの設定も「冒険の初心者」向けにまるでゼルダの世界に没入するがごとく詳細に書かれていた。なぜゾーラの里ではジャブジャブ様が祭られているのか、ダイゴロンがサリアの歌で泣き止む理由、迷いの森に迷い込んだ子供は最後にどうなってしまうのか……。モンスター図鑑・アイテム図鑑には、そのモンスターの習性やアイテムの由来などが事細かに記されていた。デクの実を食べると一寸頭がぼーっとした後バチンという衝撃がやってくる、とか。そういう、ゲームの攻略とは関係のない情報が僕を夢中にさせた。

小学生の僕は、ハイラル城の見張りをかわしてゼルダに会いに行くリンクを思い描き、廃墟になった城下町を徘徊するリーデットを想像して身震いし、エポナに乗ってハイラル平原を走り抜けるさわやかさにあこがれ、「想像の中で」あの世界を存分に冒険していた。その中には、パチンコを装備した子ども時代のリンクが敵を倒す想像も含まれていた。そう、それがパチンコという玩具を自分もほしいという気持ちにつながっていたのだ。

 

(ちなみにこの本は何度も何度も読んだせいで最後にはページがバラバラになってしまい、セロテープで張り付けてなんとか本の形を保っていたのだが、いつの間にか手元からなくなっていた。おおかた母が可燃ごみの日にでも捨ててしまったのだろう。しかしそのディティールは10年以上たった今でもしっかり覚えている。その証拠に、上の文章を書いたとき、何も参照せずとも時オカの固有名詞がスラスラと出てきたのだ。)

 

話が長くなってしまった。端的にまとめるとこういうことだ。

幼少期の僕にとって、ファンタジー世界とは「時オカ」のことだった

弟と粘土遊びをするとき、レゴで自分の世界を作るとき、キャンプに行って川や森で遊ぶとき、想像力が必要なときは常に時オカの世界から想像を膨らませた。自分がつくったキャラクターが探検するのは「迷いの森」だったし、公園で棒や松ぼっくりや樹の皮を拾っては剣や盾の素材にすることを考えた。とかく空想しがちだった少年期の僕のイマジネーションには、時オカ、いや正確にいうとその攻略本のエッセンスがしみこんでいた。

 

小学4年生のとき、学校の課題で初めて書いた小説は、『エルマーのぼうけん』に「時オカ」の風味を加えたような、そんな物語だった。

 

というわけで、久しぶりに僕は昔のころを思い出したのだ。あのときの童心、想像力。物語を作って楽しんでいた日々。パチンコをくれた滝沢君はいまは何をしているのだろう?